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睡眠、記憶の喪失、人の弱さ、生死、休息、いつかの日記

乱文

僕は基本的に誰かの益になるであろう記事しか書かない。そうじゃない記事を書くときもあるけどそれはただの気紛れであり特に信条は無い。

何故なら凡人の日常を綴ったところでそれほど誰かの益になることは無いからであって。そもそもそれはだいたい「面白くない」。文才があれば別なのだろうけど。
もしかしたら同じような境遇や思考回路を持つ数少ない人達がひとときの共感を得られる可能性があるという意味での益はあるかもしれないけど、そんな小さな可能性に時間を投資するほど僕には時間や精神の余裕が無い。

あるとしたら、それは誰かのためではなく自分の心情を吐き出すことによって自分自身の何かを解消・昇華させることのほうが主な目的なのだと思う。過去の記事を書いたときの心情をいちいち覚えてはいられないけど、たぶんきっとそんな心情でその手の記事は過去に何度か書いたことがあるような無いような気がする。

だから気紛れで今回書き記すことというのは

大変アレである。

  • 5割方が自己満足。たまには書きたい。
  • 3割方が精神的肉体的 ナレッジの共有
  • 2割方が数少ない誰かに対する慰めとか共感の提供である。

睡眠障害について

僕の観測範囲の中だけでいうと、なんだかプログラマおよびクリエイターとして優秀な方々の中には「お薬」に依存しちゃってる方が多い気がする。
逆にいうと、僕から見て(完全に主観である)それほど優秀には見えない方々に関してはその傾向は小さい気がする。

僕もかれこれ数年ほど(何年間かは忘れた)お薬の世話になっている。
(僕が優秀だというわけではなく、単に僕が弱い人間であるというだけの話である)
ホントはイケないことなんだけど、最初は友人からお薬を少しばかり拝借した。
すこぶる体調が回復したのでそれからは正式に病院に行って処方箋を貰うことにした。

あんまり長い間お薬に頼っているとだんだん効かなくなってくる気がする。今はあんまり効かない。また来週お医者さんに相談しなければならない。

生死について

僕の観測範囲内では優秀なプログラマが数年のうちに2人死んだ。
1人の理由は想像が付くけど言わないことにする。
もう1人の理由はよく分からない。

僕がお仕事に忙殺されているうちにいつの間にか2人とも死んでいた。
唯一の共通点は2人ともとても優秀だったということだ。

メメント・モリ

「死を忘れるな」
「死を想え」

意訳は様々あるが僕はこの言葉が割と好きである。
何かから目を背けることは考えることの放棄であり、それは人間を辞めることに近い。だからこれに目を向けることは人間であることの必要条件だと思っていて、とても大事にしている。
死よりももっともっと怖いことはたくさんあるけれど、死が最も分かりやすい概念なので、この言い回しはとても心に刻み付けられやすい言葉なのだろう。

これは僕個人の信条であり信条は人それぞれであるから否定も肯定もするつもりはないが、少なくとも自分の信条くらいは書き記しておきたい。

記憶の喪失について

話は飛ぶが、不眠治療に際して自分が処方されてきた薬は覚えている範囲では以下の3つである。

これは経験則的なことなんだけど、マイスリーの取り扱いには注意したほうが良い。
それほど強い薬ではないはずなんだけど、入眠前の記憶が30分ほど飛ぶ。マジで飛ぶ。

僕は寝る前によく漫画を読むんだけど、読み切ったところまでは必ずしおりを挟む。
でも翌朝起きてその漫画を開いてみると、しおりを挟んであるところまでの数十ページの記憶がまるで残っていない。
結局ストーリーも何も頭に残っていないのでその数十ページは再度読み直すことになる。
エンターテイメントを二度新鮮に楽しめるといえば聞こえは良いが、数十分の時間を「喪失」してしまうことのショックは大きい。
薬を飲んだあとは何もしないに限る。

一度、人と話した内容さえまるっと忘れてしまったこともあった。薬を飲んだ後は速やかに眠ろう。眠れないからって人と話そうとしてはいけない。

体験と理解と納得

基本的に人は自分が体験したものしか信じることはできないと思っている。
自分自身が体験したことが無いことについて他人の言うことを信じれると言ってしまえる人間というのは、思慮が浅いか建前をうまく取り繕っているのかどちらかだと思っている。

僕は 自分が記憶を喪失するという体験をするまで、他人のいうところの「記憶ないっすわ」という言葉は心底信じていなかった。単なる体の良い言い訳だと思っていた。
しかしながら現時点、自分自身が記憶を失うことを体験してしまった以上、これからは人の言うところの「記憶ない」発言についても半分くらいは信じるかどうかの思考を巡らせなければなるまいと思った。

軽い運動

ちょっとした疲労が睡眠を促すであろうということで、ある平日の昼、少しばかり代々木公園を散策した。散策というか、適度な疲労を得たかったのでジャージにTシャツで軽いランニングをした。

平日の昼ということで人の数はまばらだった。
割合としては外国人観光客が多かった。
日本人の学生っぽい人達もいた。大学生だと思う。

芝生には何人か寝そべってる人がいた。日差しは強かったけど木陰は涼しい。ある人は昼寝をしていたのかもしれないし、ある人はただボーっと空を眺めていただけかもしれない。
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本当の“勝ち組”って奴らは六本木ヒルズとかあんなギラギラ落ち着かないところではなく、こういう平穏な場所で過ごしてるんだろうな、となんとなく思った。

細道

公園の中には割かし長いまっすぐな道がある。まっすぐな道は良い。思い返せば札幌の道も良かった。代々木公園のこの道は木々が良い感じに木陰を作ってくれていて涼しい。
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酸素濃度とかイオンとかなんとかそういう言葉は詳しくも無いのに口にはしたくないけど、少なくともここで吸った空気が心地よかったのは確かだった。

明治神宮・鳥居

鳥居はくぐらなかった。ちゃんと正式に心置きなく休暇を取ってからくぐろうと思った。

エモい何かを匿名で書くべきか否か

「誰が」「何を考えて」「何を記して」「どのように一生に終止符を打つのか」これまでそれほど見えなかったものが可視化されつつある時代になったと思う。せっかくこの時代に生まれたのだからこうやってときどき記録を残そうと思う。

僕はたぶん60歳くらいまでは生きる。そのあとは知らない。

以上2015年ある夏の日の記録

薬を飲んだが寝れないのでとりあえず文章を書いた。
文章を書くのは頭を使わなくてよくて時間をつぶすのにちょうど良い。

思考というものは記録しておかないと、本当に、本当に、まるで嘘のように忘れてしまうので、ときどき記録に残しておくことは大事なことだと思う。

たとえば20年前の自分と今の自分とを拙い記憶をたどりながら比べてみるとまるで違った人間になってしまった。あの頃の自分が自分の心情を綴っていたとしたらどんな文章になっていただろう。過去の記録はほとんど処分してしまったのでよく分からない。

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