まずこの記事の趣旨を書いておこう
大人と子供が摂取する事象と情報量の違いのお話。
ゲーム時間は15分
なんか、脳の回路がどこかで変わってしまったんだと思う。
子供の頃はゲームなんて2時間でも3時間でも飽きずに続けられたものだけど、今はなんか15分くらい何かするだけで満足して別のことを始めてしまう。
最近やってるゲーム
The Unfinished Swan というゲーム。映像が美しい。ゲーム開始当初は真っっっ白の画面から始まって、カメラワークとかで「すごく酔う」けど、まぁそこはちょっと我慢して少し進めると、美しい世界と、その世界への干渉を楽しめるのがとても面白い。
子供にやらせたい部類のゲームでもある。絵本っぽい雰囲気でかわいいしね。
操作方法も超簡単だから。ただ、もーーーーちょっと難易度が易しいと良いんだけどね、大人の僕でもときどき「ンガーーー」ってなるもん。もしかしたら子供のほうがすんなり進めちゃうもんかもしれんが。頭やらかいし好奇心旺盛だからね。
プレー期間
これ、半年前に始めたんだけど、本気出せば1週間かからずに終わるんだろうけど、実は半年かけてもまだクリアしてない。一回のプレー時間がすごい短いから。しかも月に数回しか起動しないしね。
短いプレーで飽きちゃうんじゃなくて、なんかそれだけの時間でいろんな感動を享受できて、十分満足しちゃう。
自分のゲーム生活とそれに対する満足への考察
大人になるにつれて、ひとつの事象から連想して脳内に自動発生する情報量がどんどん増えていくんだと思うんですよね。だからちょっとした事象の摂取だけで脳が満たされて満足してしまう。
子供は多感だっていうのは僕に言わせれば逆だと思っています。子供はけっこう鈍感なんです。感受性は低いんです。だから、ちょっとした事象の経験だけじゃ脳が満たされない。だから、もっともっとたくさんのものに接して脳を満たそうとする。それが好奇心ってやつです。
年を重ねて経験を積むに従って、感情の幅やブレがどんどん大きく変化していくのは自然なことで、そう考えると大人のほうがよっぽど多感なんですよ。それと同時に寛容さや忍耐も身に付けていくから、外目には鈍感になったように見えるかもしれないけど、大人はみんな内面は子供以上に多感になっていると思うんです。それが僕の考えです。
そう考えないとつまらないでしょ。歳を重ねる度に感性が失われるなんて、それじゃただただ死に向かって生きているようなものだから。