5年間ほどギークハウス(ギークの集うシェアハウス)やその周辺のハウスに住んだり離れたり住んだりしていたけど、そろそろ普通っぽい(平均っぽい)暮らしに戻ることにした。記録だけ残しておく。
入居のきっかけ
ギークハウス東日本橋の住人募集始めました。興味のある方は御連絡ください http://t.co/J7uTgvrj
— pha (@pha) 2012年5月3日
Twitter を見て応募した。小林銅蟲 (id:negineesan) 氏のリツイートで回ってきたような記憶がある。
職場と家(独り暮らし)の往復に退屈していたし、人恋しかったし、あまり口にしたくない精神の乱れがあったり、挙げればいくらでも後付けで理由が作れるんだけど、とりあえず本物っぽいギークに囲まれてみたかった。
本物ってなんだ
日本のプログラマ()を無作為にストリートに集めた光景を想像してみてほしい。
そこで石をひとつ投げたらどうなるか。十中八九ワナビか社畜に当たる、そんな世界。ワーオなんだこれ。(※)
作為的に自分の足を運ぶしか無い。
※僕の口が悪いんじゃなくて本当にこれが事実なんだ。信じてほしい。
空間
ハウスに集まる人間はどこかヒッピー的であったり酒乱であったり█中毒であったり無口であったり何らかのマイノリティであったりメンタルが下降していたり上昇していたり。ときどきスーツを着込んだ真っ当人間モドキも混入するけど、あれはスーツの皮を被った何かだから騙されてはいけない。あまり平均的な人間はいない。
誰がギークかどうかとかそんな判別はできないんだけど、共通点はみんな「インターネットが好き」ってことだった。
同じ物理空間に集まっても各々が自分のスマホとかノートPCとかポチポチやってるような、非社交的な振る舞いが許容されていた。
僕も例に漏れず部屋の隅っことか二段ベッドの下段で息をひそめながら ThinkPad ポチポチしていた。
本物が集まるかどうかが本質ではなく、許容空間がそこに有ることが大事だった。
インターネット
インターネットが好きなことと変人であることにはまったく相関関係が無いように思うかもしれないけれど、実はたぶんある。
インターネットが好きってことは現実から逃げているか現実に退屈しているかのだいたいどちらかで、そういう人間は現実に適応または満足しきれていない特異なクラスタに属する可能性が割と高い。
ファースト・コンタクト
入居の話に戻る。
2012/05/03: kobake => pha
こんにちは。
ウェブサイト(http://geekhouse.tumblr.com/)のほうで
ギークハウス東日本橋入居者募集を拝見しました。
入居を希望したいのですが、どのような手続きを取ればよろしいでしょうか?
2012/05/03: pha => kobake
ギークハウス東日本橋のphaと申します。
お問い合わせありがとうございます。
見学会を以下の日程のどこかで実施しようと考えているのですが、都合の良い日と時間帯を全てお知らせいただけますでしょうか。それに合わせて調整致します。
…
あと、Twitterやブログなどのアカウントを既にお持ちでしたら、事前に教えていただけますでしょうか。なお、ギークハウス東日本橋の入居については、面談の上であまり家の雰囲気に合わなさそうだと思った場合、お断りすることもあるので御了承ください。
2012/05/03: kobake => pha
> あと、Twitterやブログなどのアカウントを既にお持ちでしたら、事前に教えていただけますでしょうか。
Twitter: kobayan_tokyo
サイト: http://clock-up.jp/ (ぜんぜん更新してない・・・)という感じです。
インターネット、チャンスは無尽蔵に転がっているので、基本的にはただ「連絡する」だけでだいたい事は運ぶ。
コネとかそういうの関係なく、今はメールなりTwitterなり他SNSなりいくらでも連絡手段はあって、連絡することさえできればそれで良い。結果としては何かしらの審査を経て(?)入居に成功した。
失礼ながら入居見学まで id:pha 氏のことすら知らなかったのだけど、自己紹介だか他己紹介だかの何らかで「ハイパーオチンチンランキング 等を作っていた人」という紹介をされて、「ふーん??????」という気持ちになった。
インターネットをガッツリやっていれば、たぶん一般的にはインターネット著名人的な人々のことを自然と知ることになるのかもしれないけど、あいにく僕はインターネットに対しては「情報」しか求めておらず、あまり「人間」を見ていなかったので、そういう著名人とかどうとかそういうのまったく分かってなかった。
割と長い独居生活
先に僕のパーソナリティを説明しておくと、僕はもともと生まれ育った家庭環境がとても厭で、たぶんその延長線上の思想で、「人と住む」ことはおろか「人と同じ空間を過ごす」ことがとても苦手だった。
家庭から逃げ出すように19歳から東京で独り暮らしをしていたけど、ときどき友達っぽい人が自分の部屋に来ることすらなんだかとても落ち着かなかった。
ここで「友達っぽい人」という表現をするのは僕には友達の定義が良く分からないからであり。親が転勤族であった都合で転校を繰り返しているうちに、内在していたはずの「友達」の概念が希釈になってしまった。友達っぽい人、ごめんよ。こういう表現が失礼なことは分かっている。
共同生活の選択
独居には限界があり、とにかく得られる体験量が少ない。あと生活の効率が悪い。
僕の持つ欲求で最も大きいのはたぶん知識欲で。類を問わずとにかくいろんな情報や体験を脳に入れていきたかった。これを増やせる手段があるのならばまずはそれを試してみるべきで、そのひとつが僕の苦手な共同生活というやつだった。
選択の余地の無かった生まれの家庭は厭だったけど、自分の裁量で入退去を選択できるシェアハウスならまだなんとかなると思った。実際なんとかなった。
共同空間における自律駆動オブジェクト
- 住人 … 各々に自律駆動する
- 住猫 … 各々に自律駆動する
- 客人 … 各々に自律駆動する
当たり前の話なのだけど、全ての生命オブジェクトが自律駆動している。干渉は可能だが制御は不可。
買ったばかりの椅子への脱糞には閉口したが、まぁそれはそれとして自分が能動的に行動しなくても勝手にイベントが発生して、それに付随する情報が入ってくるのでなかなか退屈しない。
とにかく自分が何もしなくても環境がころころ変わる。
部屋は勝手に綺麗になったり汚れたりするし、
料理は勝手に出現したり消えたりするし、
ガジェットも勝手に出現したり壊れたり改造されたりする。
部屋に流れるBGMもころころ変わる。
環境への干渉はもちろん自分でも可能で、いろいろやったようなやっていないような曖昧な記憶だけど、そこに居る意味はたぶんあった。
エピソードのピックアップ
得られたもの
- 人間・環境から干渉されることの価値。
- 人間・環境に対して干渉することの価値。
- 暗黙のギブ・アンド・テイク(社会契約)の理解。
独りでは気づけなかった食材とか映像とか場所とか思想とか技術とか散歩の仕方とか人間の性質とか█とかいろいろ学べた。と思う。
元々の目的であったギークとの触れ合いはあまりにも普通すぎて日常すぎて特筆すべきことはなく、付随作用であるところの共同生活のほうに価値があった。
外界と自己との距離は縮まった気がした。